ある人とクラシックの楽しみ方の話をしていて思い立った。
昔、第九の演奏会を聴きに行く前に、毎日、毎日繰り返しテープを聴いて予習
していったことがあって、演奏会当日はある意味テープでの演奏との聴き比べだった。
演奏ミスもよく分かったし、くっきりと聞こえてくるはずのファゴットが期待し
ていたほど目立たずまるで違う曲のような印象だったのを思い出した。
ちゃんとした音楽教育を受けていないボクにとっての音楽の楽しみ方だった。
それで、なんで春の祭典かと言うと、図書館に4種類もあったから。それと知って
いる曲だということ。それくらい。
昨日から一曲目の聞き込みに入った。バレンボイムの指揮だ。
初めて全曲を通して聴いたのは、ウォルト・ディズニーの映画『ファンタジア』で
だっだ。初版のほうは音の魔術使ストコフスキーによるものだった。
『ファンタジア』で思い出す。それは『ファンタジア2000』を見に行く前だった。
その時も予習をしていった。『2000』の方はCDがまだ無かったから、各曲のCDを
借りてきて予習用のテープを作った。結婚前の嫁さんとのデートだから力が入っていた。
映画では、コミカルな映像とのある種のミスマッチ感と、聴き慣れた演奏との微妙な
差異によるぎこちなさというで、二重の楽しみがあった。
ぎこちなさというのは、よい表現ではないけれど、ある演奏を何度も聴いて、
別の演奏を初めて聴いたときのボクの感覚は、そんな感じだ。
後の演奏の方が本当は優れた演奏だったとしても、素人のボクの感覚ではまるで、
すぐにそれと判る贋作に出会ったみたいなものだから。
そこに素人なりの楽しみがある。知的な楽しみ方をしているという優越感がある。
しばらくは、バレンボイムを聴き込むことにする。次はシャルル・デュトワだ。

