これまた、絶版の話。
出逢い
ジョージ・ウィンストンとの出逢いは20年ほど前になる。
きっかけはっきりと思い出せない。
Longing/Loveが自動車のCMで使われて評判になったのだが、
そのCMを見た記憶があまりない。Longing/Loveをひどく
気に入っている友人がいたのを覚えている。
楽器店でDecemberのピアノ譜を見つけて買った。Autumnは
行きつけの書店、楽譜専門店、楽器店を探し回ったがついぞ
見つからず、ある店で発売停止になっていることを知った。
Winter Into Springの一部が掲載された楽譜の在庫を
見つけるのがやっとだった。
その後、Autumnの楽譜は知り合いが持っているのを知り、
なんとかコピーを手に入れることができた。
商業主義に翻弄されるジョージ・ウィンストン
もともとジョージ・ウィンストン本人の楽譜は無く、耳コピーで書
かれた楽譜が売られていただけだった。作曲家でもあり、即興の演
奏家でもあるジョージ・ウィンストンにとっては、楽譜として音楽
を残すことは意に反することだった。発売停止になったのはそのた
めだった。
即興を重視するから楽譜化は主義に反するということ自体は分かる
が、じゃあレコーディングは良いのかということが、理解できない。
レコーディングしてシェアする気持ちがあるのなら、アマチュアの
ピアノ愛好家としては、楽譜化してシェアして欲しいと思う。
ジョージ自身がそうなのか、彼をプロモーションする人たちが
そうなのか知れないが、"ジョージ・ウィンストン"というブランド
には、商業主義的な一貫性の無さが見られる。ファンの声を受けて、
いくつかの楽曲の楽譜がCDの付録になっているところがそうだ。
ジョージ自身の意志ではないと信じているが。
グレン・グールドのことを思い出す。
彼はあるときから、演奏の一回性への疑問からコンサート活動を
一切しなくなった。演奏の一回性を重視する即興演奏家とは対照的
だ。
即興を重視する考えの方が僕には分かりやすいが、それでも、一貫
性の点でグレン・グールドが分かりやすい。アーティストたるもの
どういう考えを持とうと、また多くから支持されるかどうかはとも
かく、一貫性が無くてはと思う。
ジョージ・ウィンストンを取り巻くこうした商業主義が、彼のレベル
を落としているのに違いない。
行方不明となったDecember
たまたま発売停止の直前に買うことができたDecemberは、
今はもうない。会社で何人かの人に貸して、行方知れずとなった。
一時期ヤフオクで毎日のように出品され取引されていたことがあった。
Autumnは十数万という高値で取引されることも。結婚して子供もいる
身で、出せる金額ではなかった。
パッヘルベルのカノンは、嫁さんにピアノを弾いて聞かせたときの
曲で、夫婦にとっての想い出の曲だった。
YouTubeより
YouTubeには、いくつかジョージ自身の演奏がアップされている。
ここでは、『猟奇的な彼女』でのCannonの演奏。
これまた、著作権とかなんとかの理由でサウンドトラックCDに含まれて
いない。
※YouTube画像の貼付は、著作権の問題があるため取止めました。

